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History
宝蔵院胤栄——「突く」から「巻く」へ、槍術の常識を変えた奈良の僧とは
【はじめに】 「突く」だけが槍の戦い方ではないと証明した人物がいます。奈良・興福寺の僧侶、宝蔵院胤栄です。彼が16世紀に体系化した「宝蔵院流槍術」は、江戸時代後期には全国の槍術家のおよそ3人に1人がその系統にあるという、圧倒的な影響力を誇りま... -
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糟屋武則 | 賤ヶ岳七本槍なのに改易された武将の生涯
【はじめに】 「賤ヶ岳の七本槍」と聞けば、加藤清正や福島正則の名が浮かぶ人も多いでしょう。しかし、その七人の中に、関ヶ原で唯一西軍に加わり、大名として生き残ることができなかった武将がいます。 その名は糟屋武則(かすや たけのり)。清正が54万... -
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丸目長恵とは?タイ捨流を創った剣豪の生涯をわかりやすく解説
【はじめに】 「東の柳生、西の丸目」——この言葉を知っていますか? 江戸時代、将軍家指南役として日本最強の剣術流派と恐れられた柳生新陰流と、対等な権威を認められた剣術流派が西日本にありました。その流派こそが「タイ捨流(たいしゃりゅう)」。そ... -
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平野長泰——唯一大名になれなかった「賤ヶ岳七本槍」が280年続く家を残せた理由
【はじめに】 「賤ヶ岳の七本槍」——戦国時代の授業で一度は耳にしたことのある言葉でしょう。豊臣秀吉が天下を握った決定的な戦いで活躍した七人の武将たちです。加藤清正、福島正則……そのほとんどが数十万石の大名へと出世しました。 ところが七人の中に... -
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長野業正とは何者か?武田信玄が「手が出せなかった」戦国武将の実像
【はじめに】 「武田信玄を6度撃退した男がいた」と言えば、あなたはどんな武将を想像しますか。 戦場を駆け回る猛将でしょうか。それとも知略で敵をあやつる謀将でしょうか。実際の長野業正は、そのどちらとも少し違います。彼の最強の武器は「娘」だった... -
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剣聖・上泉信綱とは?新陰流を創始した戦国の革命的剣豪
【はじめに】 「最強の剣士」というと、相手をバッタバッタとなぎ倒す戦士のイメージがありますよね。でも、日本の剣術史上で最初に「剣聖」と呼ばれた上泉信綱(かみいずみ のぶつな)は、「刀を持たずに勝つ」ことを目指した人でした。 戦国時代の猛将と... -
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河尻秀隆とは?信長の最古参が甲斐22万石を手にして16日で散った理由
【はじめに】 「河尻秀隆(かわじりひでたか)」という名前を知っていますか? 信長の父・織田信秀の時代から仕えた最古参の家臣で、信長の弟の謀殺という最高機密任務を担い、武田氏を滅ぼした甲州征伐の軍監として大功を挙げた人物です。1582年(天正10... -
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農業で戦国を生き抜いた武将・土居清良とは?日本最古の農書『清良記』をわかりやすく解説
【はじめに】 「弱者は強者に勝てない」――そう思うのが普通かもしれません。しかし戦国時代、わずか300人の兵力で大友氏・長宗我部氏といった強大な勢力の攻撃をしのぎ続け、84歳まで生き抜いた小城主がいました。 その名は土居清良(どいきよよし)。現在... -
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信長の「黒いエース」蜂屋頼隆とは? 戦国最前線を支えた遊撃武将の生涯
【はじめに】 「蜂屋頼隆」という名前を聞いて、すぐに顔が浮かぶ人は少ないかもしれません。しかし彼は、織田信長の精鋭親衛隊「黒母衣衆」に選ばれた武将であり、信長・秀吉の二代にわたって政権の中枢を支えた人物です。派手な一発逆転劇こそないものの... -
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板倉勝重とは?元お坊さんが築いた江戸の法と秩序——初代京都所司代の生涯
【はじめに】 江戸時代の「名奉行」といえば、大岡越前や遠山金四郎を思い浮かべる方が多いでしょう。しかし、その人気者たちより100年近く前に、「名奉行の元祖」と江戸時代に広く称えられた人物がいました。しかも、36歳まで武士ではなくお坊さんだった...