はじめに
お店で値札を見て支払う。この当たり前の光景が、かつては「非常識」だった時代をご存知ですか?
約350年前、商人・三井高利が創業した呉服店「越後屋」(現在の三越百貨店のルーツ)が、日本の商業史を塗り替えました。
この記事では、旧来の商慣習を打ち破り、江戸の庶民を熱狂させた越後屋の画期的な戦略「現金掛け値なし」の秘密に、現代にも通じる成功のヒントを探ります。
目次
- ツケ払いと値段交渉が常識だった呉服業界
- 革命の一手!「現金掛け値なし」という衝撃
- 庶民の心を掴んだ画期的なサービス
- 江戸中が騒然!日本初のチラシ広告「引札」
- 旧勢力からの猛反発と苦難
- 社会を変えた越後屋の偉大な遺産
1. ツケ払いと値段交渉が常識だった呉服業界
17世紀後半の江戸で、呉服(着物の生地)は武士や富裕層向けの高級品でした。取引は現代と大きく異なり、非効率な慣習が根付いていました。
- 掛売り(かけうり):
「ツケ払い」が主流で、店は常に貸し倒れのリスクを抱えていました。 - 値段交渉(相対取引):
定価はなく、値切りを見越した高値(掛け値)での交渉が常識でした。 - 訪問販売(屋敷売り):
商人が顧客の屋敷を訪ねるのが基本で、一般人は店に入りにくい状況でした。
このため、貸し倒れリスクなどが価格に上乗せされ、顧客は高値で商品を買わされていました。
2. 革命の一手!「現金掛け値なし」という衝撃
延宝元年(1673年)、伊勢商人・三井高利は52歳で江戸に「越後屋」を開業。
後発で資本も少なかった彼が打ち出したのが、「現金掛け値なし」という革新的な戦略です。
- 現金:その場での現金決済を徹底し、ツケ払いを廃止。
- 掛け値なし:値引き交渉をなくし、正札(しょうふだ)による定価で誰にでも同じ価格で販売。
この方針は業界の常識を覆しました。
貸し倒れリスクをなくして資金回転率を劇的に向上させ、不透明な上乗分をなくすことで低価格を実現。
「薄利多売」という画期的な商法で勝負に出たのです。
3. 庶民の心を掴んだ画期的なサービス
越後屋の革命は価格に留まらず、徹底した顧客目線で新しいサービスも打ち出しました。
- 店前(たなさき)売り:
商品を店頭に並べ、誰でも自由に見て回れるようにし、呉服を庶民に開かれたものへと変えました。 - 切り売り:
当時一反単位でしか売られなかった反物を必要な分だけ販売。「少しだけ欲しい」という庶民のニーズに応え、絶大な評判を呼びました。 - 仕立て売り:
購入した反物をその場で仕立てる、現在のイージーオーダーのようなサービスで、その利便性が人気を博しました。
これらのサービスは、「買い物の楽しさ」や「便利さ」という新たな価値を提供し、江戸の庶民の心を掴んだのです。
4. 江戸中が騒然!日本初のチラシ広告「引札」
この革新的な商法も当初はすぐには受け入れられませんでしたが、天和3年(1683年)の店舗移転を機に、高利は大きな勝負に出ます。
店の新方針を広く知らせるため、「引札(ひきふだ)」という宣伝チラシを江戸市中に大量配布したのです。
「呉服物、現金安売り掛け値なし」と記された引札の効果は絶大で、新装開店した店には人々が殺到。
その繁盛ぶりは「芝居千両、魚河岸千両、越後屋千両」と並び称されるほどになりました。
5. 旧勢力からの猛反発と苦難
越後屋の成功は、既存の呉服商たちから猛烈な反発を招きました。
同業組合からの追放や悪質な嫌がらせも受けたと伝えられています。
しかし高利は、越後屋の安さと正直さを支持する一般庶民を支えに屈しませんでした。
顧客からの圧倒的な支持が妨害を乗り越える力となり、やがて競合他社も越後屋のやり方を模倣せざるを得なくなったのです。
6. 社会を変えた越後屋の偉大な遺産
越後屋が起こした革命は、一店舗の成功に留まらず、江戸の商業システム全体を変革し、日本の小売業の近代化へ道筋をつけました。
- 消費者主権の確立:
不透明な取引から、誰もが安心して買い物できる明朗会計へ。 - 市場の拡大:
富裕層だけでなく、庶民という巨大な消費市場を開拓。 - サプライチェーン革命:
生産地との直接取引で低価格を実現(現代のSPAモデルの原型)。
高利が築いた顧客第一の精神と革新への情熱は、日本初の百貨店「三越」へと発展します。
私たちが享受する便利な買い物スタイルは、約350年前に常識へ果敢に挑んだ一人の商人の功績といえるでしょう。
参考文献
本記事は、添付された下記資料の情報を参考に、ブログ記事として再構成したものです。
- 一次資料
- 『商売記』(三井高治 著, 1722年成立)
- 「越後屋呉服店引札」(三井越後屋, 1683年配布)
- 『諸法度集』(三井高利 著, 1673年成立)
- 『大元方勘定目録』 (三井大元方, 1710年以降)
- 「定」(三井八郎兵衛高利, 1673年)
- 「家内式法帳」(八郎右衛門・源右衛門, 1695年)
- 「支配勤集」(中西朝栄, 1703年)
- 二次資料・学術論文
- 中田易直 (1988) 『三井高利』 吉川弘文館〈人物叢書〉
- 武居奈緒子 (2003) 『三井越後屋のビジネス・モデル』 有斐閣
- 井原西鶴 (1688) 『日本永代蔵』
- Drucker, P. (1973) Management: Tasks, Responsibilities, Practices. Harper & Row.
- 鈴木敦子 (2015) 「呉服太物の価格設定 奈良屋杉本家を中心に―」 大阪大学経済学 Discussion Paper No.15-29
- Akbari, M. (2023) “Innovation in Pricing Mechanisms: An Analysis of the Emergence of Fixed and Dynamic Pricing in Five Countries”
- その他、三井広報委員会、三井文庫、アドミュージアム東京、小学館『日本大百科全書 (ニッポニカ)』等の公開情報
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