年賀状のルーツを探るー戦国武将の「生存報告」から現代へ続く伝統

目次

はじめに

毎年お正月になると、私たちは当たり前のように年賀状を送ります。
しかし、この習慣がどこから始まったのか、考えたことはあるでしょうか。
実は年賀状には、戦国時代の武将たちが命がけで送った「生存報告」という、意外なルーツがあるのです。
遠く離れた主君に「私は今年も無事に生きています」と伝えることが、なぜそれほど重要だったのか。
この記事では、現代の年賀状へと続く、知られざる日本の年始文化の歴史を紐解いていきます。

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年賀状のルーツは「生存報告」だった?戦国武将から現代まで続く新年の挨拶の歴史|hiro | ゆる歴史かわら... はじめに あなたは年賀状を書く時、その背景にどんな歴史があるか考えたことがありますか。 実は、平和な新年の挨拶として親しまれている年賀状には、命がけの「生存報告」...

目次

  1. 年賀状の起源:平安時代から続く伝統
  2. 戦国時代の年始状:生死を分けるコミュニケーション
  3. 花押と書札礼:武将たちの本人証明システム
  4. 一書一意の原則:贈答品に込められた深い意味
  5. 飛脚が支えた通信網
  6. 江戸時代から現代へ:年賀状文化の発展
  7. 参考文献

1. 年賀状の起源:平安時代から続く伝統

年賀状のルーツを辿ると、実は戦国時代よりもずっと古く、平安時代後期にまで遡ります。
11世紀後半、大学頭・文章博士であった藤原明衡が編纂した『雲州消息』(別名『明衡往来』)には、「春始御悦向貴方先祝申候訖」という年始挨拶の文例が収録されています。
これが学術的に確認できる日本最古の年賀状文例です。

さらに遡れば、大化2年(646年)の大化の改新期に、元日に天皇への年頭拝賀を行う「朝賀の式」が制度化されました。
つまり、年始の挨拶という習慣自体は、1400年近い歴史を持っているのです。

ただし、郵政博物館は公式見解として「わが国における年賀状の起源は明確ではない」と述べており、単一の起源説を採用していません。
年賀状は長い時間をかけて、さまざまな要素が組み合わさって形成されてきた文化なのです。

2. 戦国時代の年始状:生死を分けるコミュニケーション

戦国時代、年始の挨拶は現代とは全く異なる意味を持っていました。
武将たちにとって、定期的な連絡は「私は生きており、裏切っていない」ことを証明する重要な手段だったのです。

沈黙は謀反を意味した

この時代、音信不通は即座に謀反や裏切りの疑いにつながりました。
有名な例が、黒田官兵衛(孝高)のエピソードです。
天正6年(1578年)、荒木村重が謀反を起こした際、官兵衛は説得のため有岡城へ赴きましたが、逆に捕らえられ土牢に幽閉されてしまいます。
外部との通信を完全に遮断された官兵衛について、織田信長は「官兵衛が裏切った」と判断しました。

このエピソードが示すように、「連絡がない」ことは「連絡できない状況(死または拘束)」か「連絡する意思がない(離反)」のいずれかを意味したのです。

年始状の具体例

実際の年始状を見てみましょう。
1570年代、上杉謙信は家臣の遊佐登松丸から贈られた海鼠腸(このわた)への礼状を2月8日付で送り、自らの花押を添えました。
同時期、上杉景虎は雲門寺から届いた銭五十貫文への謝礼として年始状を送っています。

1576年(天正4年)には、毛利輝元が家臣の天野宗建に正月の書状を出し、兵力動員の状況と恩賞の分配を伝えながら、自らが健在であることを知らせました。

さらに極端な例として、1580年(天正8年)には、薩摩国の家臣・入来院重豊が八朔(旧暦8月1日)の挨拶の使者を主君・島津義久に送りましたが、義久が使者を受け入れなかったため、重豊は謀反の疑いを恐れて所領を一旦返上するという事態まで起きています。

3. 花押と書札礼:武将たちの本人証明システム

花押という署名

戦国時代の書状には、必ず「花押(かおう)」という図案化された署名が記されました。
花押は氏名を図案化したもので、草書体の漢字が複雑なデザインに変化したものです。
書状の本文は書記が代筆することが多かったのですが、花押だけは必ず本人が書き加えました。
これにより、その文書が主君の直接的な意志に基づくものであることが保証されたのです。

花押のデザインは極めて複雑で、偽造を困難にする工夫が凝らされていました。
織田信長は生涯に約10回も花押を変更し、「長」の字を裏返したり「麟」(麒麟)の字を図案化したりしています。
伊達政宗に至っては、20〜30種類もの花押を公用・私用で使い分けていたことが確認されています。

書札礼という作法

室町時代末期、足利義満は小笠原長秀に命じて「書札礼」を編纂させました。
これは武家の書状作法を体系化したもので、宛先の身分に応じて結語(「某頓首誠恐謹言」「恐惶謹言」など七種類以上)を使い分ける規定や、紙の折り方・包み紙の枚数・墨の濃淡まで、礼の厚薄を示す細かいルールが定められていました。

弘安8年(1285年)には、亀山上皇の命により『弘安礼節』が編纂され、書札礼の基本様式が確立しました。
この書札礼は明治維新まで公武共通の規範として機能したのです。

4. 一書一意の原則:贈答品に込められた深い意味

戦国時代の贈答儀礼には、「一書一意」または「一礼一義」という厳格な原則がありました。
現代の年賀状のように「昨年はお世話になりました」「今年は結婚しました」といった複数の情報を一つの書状に盛り込むことは、礼を欠く行為とされたのです。

それぞれの用件には、別々の書状、別々の使者、そして別々の贈答品が用意されなければなりませんでした。
この厳密さは、年始の挨拶が極めて高コストな儀礼的負担を強いるものであったことを意味します。

軍事資産としての贈答品

年始や和議の挨拶には、太刀や馬といった「軍事資産」が贈られることが頻繁にありました。
文禄2年(1593年)正月、朝鮮出兵中の藤堂高虎は、戦地から徳川家康へ年頭の祝いとして太刀・馬・鶴を送りました。家康はこれに対して礼状を発給し、文中には軍事情勢への言及も含まれています。
この事例は、戦地からの年賀贈呈が生存確認を兼ねていたことを示す実証的証拠です。

太刀は武士の魂であると同時に実戦における主力武器、馬は機動力の源泉であり戦場における兵器システムそのものでした。
これらを贈ることは、「この馬と太刀を使って、いつでも武力を行使します」という協力の意思表示であり、同時に「あなたには刃向かいません」という恭順のメタファーでもあったのです。

5. 飛脚が支えた通信網

年始状を運ぶ役割を担ったのが「飛脚」です。戦国時代、各大名は独自の通信網を構築していました。
大名は「伝馬(てんま)」と呼ばれるリレー形式の馬匹輸送システムや、専門の飛脚を運用していたのです。

慶長20年(1615年)、伊達政宗は「伝馬黒印状」を発給し、江戸初期の通信インフラの整備が進んでいたことを示しています。
飛脚は迅速な配達の代わりに知行地や年貢免除を与えられることもありましたが、遅延や紛失は厳しく処罰されました。

戦国期において、安全に書状を届けることは容易ではありませんでした。
敵対勢力の領地を通過する際は、密使として変装したり、書状を隠し持ったりする必要がありました。
年始状が無事に届くということは、その輸送ルートが確保されている、あるいは通行を許可する同盟関係が機能していることの証明でもあったのです。

6. 江戸時代から現代へ:年賀状文化の発展

戦乱が収束し江戸時代に入ると、徳川幕府によって五街道や宿駅制度が整備され、飛脚制度が充実しました。
これにより、戦国期には命がけであった書状のやり取りが、より安全かつ確実に行われるようになり、武士階級だけでなく豪商や庶民の一部にも書状による通信が普及していきました。

明治4年(1871年)に近代郵便が創業し、明治6年(1873年)に郵便葉書が登場すると、年始の挨拶は特権階級のものから一般庶民へと劇的に開放されました。
明治32年(1899年)には年賀郵便特別取扱が開始されています。

特筆すべきは、昭和24年(1949年)12月1日に発行された「お年玉つき年賀はがき」です。
これは京都市民・林正治の提案によるもので、終戦後の混乱期に人々が互いの安否を知らせ合う需要に応えるものでした。この戦後の経緯は、奇しくも戦国期の「生存報告」としての年始状の原点回帰を示唆しており、日本人のコミュニケーション観における「生存確認」の根深さを物語っています。


このように、現代の年賀状には、平安時代から続く年始挨拶の伝統と、戦国時代の生存報告という切実な機能、そして江戸時代以降の庶民への普及という、長い歴史が積み重なっているのです。
私たちが何気なく送っている年賀状には、実は日本の歴史が深く刻み込まれていたんですね。

参考文献

  • 藤原明衡撰/重松明久校注『新猿楽記・雲州消息』現代思潮新社(古典文庫66)、2006年
  • 郵政博物館「年賀状」https://postalmuseum.jp/column/collection/post_25.html
  • 年賀状博物館(フタバ株式会社)https://futabanenga.jp/blog/hakubutsukan/373/
  • 百瀬今朝雄『弘安書札礼の研究—中世公家社会における家格の桎梏—』東京大学出版会、2000年
  • 岐阜県歴史資料館所蔵「藤堂佐渡守高虎宛徳川家康書状(谷家3595号)」
  • 佐藤進一『増補 花押を読む』平凡社ライブラリー、2000年
  • 東京大学史料編纂所編『花押かがみ』(全8冊既刊)東京大学出版会、1965年〜
  • 千葉拓真「近世大名家における書札礼と公武の序列」『史学雑誌』121(8)、2012年
  • 広島県立文書館「収蔵資料で見る『年始』の歴史」2015年
  • 東京大学史料編纂所データベース(HiCAT Plus/古文書フルテキストデータベース)
  • 山口県文書館紀要「萩藩主発給『年始歳暮礼状』について」
  • 石川県立歴史博物館所蔵『海鼠腸贈答の礼状(遊佐登松丸宛上杉謙信書状)』
  • 国文学研究資料館『佐竹家文書(年始の嘉儀に関する書状)』
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