六角義賢 | 信長に2日で城を奪われても消えなかった男

目次

はじめに

1568年9月、織田信長の上洛軍は近江の守護大名・六角義賢の本拠地・観音寺城をわずか1〜2日で攻略しました。
圧倒的な兵力差の前に、六角父子は夜陰に紛れて逃亡します。
しかし六角義賢は消えませんでした。
甲賀衆とゲリラ戦を展開し、最終的には弓術の達人として豊臣秀吉に仕え、78歳まで生き続けた——「負けても消えなかった男」の生涯を紐解きます。

note(ノート)
六角義賢(承禎) | 信長に最後まで抗い続けた近江の知将|hiro | ゆる歴史かわら版 はじめに 「負けても勝った名門大名」――そんな言葉で語られる武将が、戦国時代の近江にいました。 六角義賢(ろっかくよしかた)、法名・承禎(じょうてい)。 近江南部を...

目次

  1. 六角氏とはどんな家か
  2. 楽市と城割——先進的な統治の足跡
  3. 観音寺騒動——家中崩壊の始まり
  4. 六角氏式目——大名権力を縛った法
  5. 信長に2日で敗れる
  6. ゲリラ戦と晩年の生き様
  7. まとめ

1. 六角氏とはどんな家か

六角氏は宇多源氏・佐々木氏の嫡流で、鎌倉時代から近江国(現在の滋賀県)南部の守護を代々務めた名門です。
義賢の父・六角定頼の代には北近江の浅井氏を従え、将軍・足利義晴を近江に受け入れて保護するなど、室町幕府の「影の番人」的役割を担っていました。

義賢(1521年生まれ)は1552年に家督を継ぎ、後に出家して「承禎(しょうてい)」と号します。
近江国の本拠・観音寺城(繖山、標高432.9m)は、城域約259万㎡・石垣948か所が確認された大規模山城で、1982年に国史跡に指定されています。

2. 楽市と城割——先進的な統治の足跡

六角氏の統治には、後世に先駆ける政策が二つありました。

楽市の導入(1549年)
観音寺城下の石寺新市において、座(ギルド)の独占権を廃して自由な商取引を認めた「楽市」の記録は、「楽市」の語が確認できる日本最古の文献とされます。
織田信長の楽市令(1567年)より約18年前のことです。

城割の実施(1523年)
義賢の父・定頼は「惣国に城郭停止」を命じ、家臣の居城を破却して観音寺城に集住させました。
文献上確認できる日本初の「城割」で、後の豊臣秀吉による一国一城令の先駆けとも評されます。

3. 観音寺騒動——家中崩壊の始まり

1563年(永禄6年)、義賢の嫡男・六角義治が家中随一の人望を持つ宿老・後藤賢豊父子を観音寺城内で殺害する「観音寺騒動」が起きました。
動機は一次史料から確認できておらず、未確認です。

家臣団は猛反発して反乱を起こし、義賢・義治父子は城を逃れます。
蒲生定秀らの調停でおよそ20日後に復帰しましたが、六角氏の求心力は致命的に低下しました。

4. 六角氏式目——大名権力を縛った法

1567年(永禄10年)、六角氏は全67条の分国法「六角氏式目」を制定します。
この法典の特徴は、他の分国法(今川仮名目録・甲州法度次第など)が大名権力を強化する内容であったのに対し、六角氏式目は「大名の恣意的な権力行使を禁じる」方向であった点です。
当主と家臣約20名が相互に起請文を取り交わすという双務的な契約で、英語圏では「戦国期のマグナ・カルタ」とも呼ばれます。
ただし、合議制の明文化は有事の迅速な意思決定を妨げる副作用をもたらし、それが後の信長戦での敗因の一つにもなりました。

5. 信長に2日で敗れる

1568年9月、信長は足利義昭を奉じて上洛を開始しました。
六角方は約1万〜1万1000の兵で抵抗しましたが、対する信長方は推定5〜6万。
信長は3隊に分割して同時攻撃を展開し、木下秀吉(後の豊臣秀吉)が主攻の箕作城を夜のうちに陥落させます。
和田山城の守備隊は一戦も交えず逃走、義賢は翌朝には甲賀へ逃亡し、観音寺城はもぬけの殻となりました。
18の支城のうち17城が降伏しています。

6. ゲリラ戦と晩年の生き様

本拠地を失った後も、義賢の抵抗は続きました。
甲賀衆と連携してゲリラ戦を展開し、浅井・朝倉・石山本願寺(顕如)との連携による「信長包囲網」の一角も担います。
1574年(天正2年)4月、最後の拠点・石部城が落ちて組織的抵抗は終結しましたが、義賢は生き続けました。

晩年は豊臣秀吉の御伽衆として仕え、1594年(文禄3年)には秀吉の前で弓術を披露した記録が残ります。
日置流弓術の宗家から唯一の印可皆伝を受けた弓の達人として、また大坪流馬術を基に「佐々木流」馬術を創始した武芸者として、その名を後世に刻みました。
1598年(慶長3年)、享年78歳で生涯を閉じています。

まとめ

六角義賢は「負けた大名」です。
しかし日本最古の楽市記録、大名権力を家臣との契約で縛るという異例の法典の制定、信長へのゲリラ戦、そして弓術の達人としての晩年——その生涯は「変化の波に飲み込まれながらも自分を作り直した人間の記録」として読むことができます。
中世と近世の境界に立ち、時代ごとに「価値の作り方」を変え続けた六角義賢の生き様は、現代にも問いを投げかけます。

参考文献

  • 天文18年12月11日付 六角氏奉行人連署奉書案(石寺新市楽市令)今堀日吉神社所蔵
  • 六角氏式目(義治式目)翻刻:『野洲町史 第2巻(通史編2)』滋賀県野洲町、1987年
  • 新谷和之『戦国期六角氏権力と地域社会』思文閣出版、2018年
  • 川戸貴史『戦国大名の経済学』講談社現代新書、2019年
  • Japan Before Tokugawa: Political Consolidation and Economic Growth, 1500 to 1650, John W. Hall et al., Princeton, 1981
  • The Law Codes of Sengoku Daimyo: Studies and Translations, Svyatoslav Alexandrovich Polkhov, 2015
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