信長の懐刀・森可成とは? 京都を守るために命を懸けた戦国武将の生涯

目次

はじめに

「1,000人の兵で、3万人の敵軍に立ち向かった武将がいた」——この事実を聞いて、あなたはどう感じますか? 
無謀と思うかもしれません。しかし、その決断が織田信長の命運を救い、戦国時代の歴史を大きく動かしました。

その人物が森可成(もり よしなり)です。
「蘭丸のお父さん」として知られる彼は、信長が天下統一へと突き進む陰で、最も重要な役割を果たした古参武将のひとりでした。
清洲城攻めから京都政務まで、戦場でも政治の場でも信長を支え続けた可成の波乱に満ちた47〜48年の生涯を、わかりやすく解説します。

note(ノート)
森可成 | 織田政権の礎を築いた古参武将の全貌|hiro | ゆる歴史かわら版 はじめに 「信長あるところに、森三左衛門あり」――そう言っても過言ではないほど、森可成は織田信長の最前線を走り続けた武将でした。 尾張の小大名に過ぎなかった信長が、...

目次

  1. 森可成ってどんな人?
  2. 信長に仕えるまでの道のり
  3. 戦場で活躍!尾張統一から美濃攻略へ
  4. 金山城主として東美濃を治める
  5. 上洛の先鋒・京都政務の担い手に
  6. 最後の戦い――宇佐山城での決断
  7. 可成の死が歴史を動かした
  8. 息子たちへ受け継がれた「森家の魂」
  9. まとめ

1. 森可成ってどんな人?

森可成は、1523年(大永3年)に現在の岐阜県・笠松町付近にあたる尾張国葉栗郡蓮台村に生まれました。
通称は「三左衛門(さんざえもん)」で、のちに信長から金山城・宇佐山城という二つの重要な城を任されるほどの信頼を勝ち取った人物です。

「槍の名手」と伝えられ、その勇猛さから「攻めの三左」とも呼ばれたとされています。
ただし、この異名が記された確実な一次資料は現時点で確認されていません。
確かなのは、彼が戦場でも政治の場でも信長を支えた、まさに「右腕」だったということです。


2. 信長に仕えるまでの道のり

森家はもともと、美濃国(現在の岐阜県)の守護大名・土岐氏に200年以上仕えた名門の家柄でした。
しかし1542年(天文11年)、下剋上の代名詞ともいえる斎藤道三が土岐頼芸を美濃から追放したことで、森家は突然、仕える主君を失ってしまいます。

主家を失った父・可行はすぐに行動しました。
隣国・尾張の新興勢力である織田信秀(信長の父)に密かに近づき、一族の生き残りを図ったのです。
その後、可成も父とともに信長の家臣団に加わり、1554年(天文23年)頃までには信長に直接仕えるようになったとされています。
信長より約11歳年上という「古参の先輩」として、以後ずっと信長を支え続けました。


3. 戦場で活躍!尾張統一から美濃攻略へ

信長の家臣になった可成が最初に大きな武功を挙げたのは、1555年(弘治元年)の清洲城攻めです。
信長の主筋にあたる守護代・織田信友を可成自らが討ち取るという大手柄を立てました。

翌1556年(弘治2年)の稲生の戦いでは、さらに劇的な活躍を見せます。
信長の弟・信行が反旗を翻し、その配下の柴田勝家軍が信長の本陣に迫るという緊迫した場面で、可成はわずか40人ほどの手勢とともに敵将を討ち取り、信長の危機を救いました。
『信長公記』にも、この活躍がはっきりと記されています。

1560年(永禄3年)には桶狭間の戦いにも参戦し、信長の尾張統一を支え続けました。


4. 金山城主として東美濃を治める

信長が美濃攻略を本格化させた1565年(永禄8年)、可成は美濃の烏峰城(うぼうじょう)を攻略し、城主に任命されます。
可成はこの城を「金山城」と改称し、城下町の建設にも乗り出しました。

金山城の最大の強みは「立地」にありました。
木曽川のほとりに位置し、川を使った物資の輸送ルート(兼山湊)を押さえていたため、軍事拠点であると同時に経済的な要衝でもあったのです。

また1567年(永禄10年)には、武芸八幡神社に宛てた連署状が発給されており、これは現存する可成の文書のなかで最も古いものとして知られています。
信長の命令に基づいて寺社の領地を守ることを約束した内容で、可成が戦う武将であるだけでなく、優れた行政官でもあったことを示しています。


5. 上洛の先鋒・京都政務の担い手に

1568年(永禄11年)、信長は室町幕府の将軍・足利義昭を奉じて京都へ上洛します。
この上洛軍の先鋒を務めたのが、柴田勝家とともに可成でした。

上洛後、可成は京都周辺の寺社や商人たちに多くの文書を発給し、秩序の維持と政務の運営を担いました。
戦場での活躍だけでなく、このような行政・外交能力の高さも、信長が可成を深く信頼していた理由のひとつです。


6. 最後の戦い――宇佐山城での決断

1570年(元亀元年)春、信長は近江国(現在の滋賀県)の宇佐山に新しい城を築き、可成を城主に任命しました。
この宇佐山城は標高約336メートルの山の上にあり、琵琶湖の西岸を通って京都へ向かうルートの「咽喉部(のどぼとけ)」ともいえる要衝に位置していました。

同年9月、信長の主力が大坂方面で戦っている隙を突き、浅井・朝倉連合軍が約3万の兵を率いて京都を目指して南下を始めます。
このとき可成の手元にいた兵力は、わずか約1,000人でした。

9月16日、可成は城に籠もるのではなく、あえて城から出撃して坂本口に陣を張り、連合軍の先鋒を迎え撃ちます。
初戦で敵の首を複数取る善戦を見せ、信長の弟・織田信治や近江の国人・青地茂綱の約2,000人も合流しました。
しかし9月19日、比叡山延暦寺の僧兵が連合軍に加わったことで、状況は一変します。

9月20日、可成は朝倉景鏡の部隊を押し返しながらも、浅井軍の側面攻撃を受けて完全に包囲されました。
信治・青地茂綱とともに奮戦した末、可成は下坂本にて討死しました。
享年は48(数え年)とされています。

しかし、可成の死は無駄ではありませんでした。
彼が4日間にわたって連合軍を釘付けにしたことで、信長は大坂方面から京都へ撤退し、態勢を立て直す時間を得ることができたのです。
さらに、可成の亡き後も宇佐山城は落城せず、家老たちが懸命に守り抜きました。


7. 可成の死が歴史を動かした

可成の戦死は、信長に深い痛手を与えると同時に、歴史的な出来事の引き金となりました。
翌1571年(元亀2年)9月12日、信長は浅井・朝倉を支援した比叡山延暦寺を全山焼き討ちにします。
可成ら重臣を失った報復であり、中世の宗教権力が持っていた政治的な影響力を根本から排除するという歴史的な決断でした。

一方で、可成の遺体を弔った大津市の聖衆来迎寺(しょうじゅらいごうじ)だけは、焼き討ちを免れたと伝わっています。


8. 息子たちへ受け継がれた「森家の魂」

可成は妻・妙向尼との間に六男三女をもうけましたが、長男・可隆は可成と同じ年に越前の戦いで先に戦死していました。
可成の死後、次男・森長可(ながよし)が13歳で家督を継ぎ、金山城主となります。

その後、三男・森蘭丸(成利)、四男・坊丸、五男・力丸は信長の小姓として仕え、本能寺の変で信長とともに命を落としました。
長可も1584年(天正12年)、小牧・長久手の戦いで27歳で戦死します。

五人の兄全員を戦場で失った末弟・森忠政が森家を継ぎ、江戸時代には美作国津山藩18万6,500石の藩主として森家を存続させました。
可成が一代で築いた信頼と武功が、子孫の繁栄につながったのです。


9. まとめ

森可成は「蘭丸の父」という印象で語られがちですが、その生涯は信長の天下統一を陰で支えた古参武将としての記録に満ちています。
清洲城での武功、金山城の統治、京都政務の担当、そして宇佐山城での壮絶な最期——いずれも、信長から絶大な信頼を寄せられた証です。

歴史の教科書には名前が出てこないかもしれませんが、可成のような人物たちの献身なくして、織田信長の成功はなかったといえるでしょう。


参考文献

  1. 太田牛一『信長公記』(我自刊我書版、1610年頃成立)— 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/781192
  2. 津山藩森家編纂『森家先代実録』(岡山県史第25巻 津山藩文書 所収、江戸中期成立)
  3. 山科言継『言継卿記』元亀元年9月12日条・9月20日条(1570)
  4. 森可成・坂井政尚「武芸八幡神社文書(連署状)」(1567年10月3日付)
  5. 六角義賢書状(元亀元年9月21日付)
  6. 多聞院英俊『多聞院日記』永禄13年3月20日条(1570)
  7. 江戸幕府編纂『寛政重修諸家譜』(1812年完成)— 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/772429
  8. 文化庁/文化遺産オンライン「美濃金山城跡 国指定史跡説明文」(1981年指定)https://bunka.nii.ac.jp
  9. Elisonas, J.S.A. & Lamers, J.P. 訳 The Chronicle of Lord Nobunaga(Brill, 2011)ISBN 978-90-04-20162-0
  10. 建勲神社「織田信長公三十六功臣(森可成・蘭丸伝)」https://kenkun-jinja.org/nmv36/
  11. 大津市歴史博物館編「比叡山焼き討ちと天正の復興」(2013)
  12. 宮内庁書陵部「壬生家家領関係文書(4)」https://shoryobu.kunaicho.go.jp/
  13. 岐阜県『岐阜県史 史料編 古代・中世1』(1989)https://www.library.pref.gifu.lg.jp/
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