インドのカースト制度 | 3000年の歴史と現代社会への影響

目次

はじめに

「生まれた家で人生が決まる」──そんな社会を想像できるでしょうか。
インドのカースト制度は、紀元前1500年頃から続く世界最古の身分制度の一つです。
現代のインドでは法的に差別が禁止されているにもかかわらず、この制度は今なお社会に深く根を下ろしています。
驚くべきことに、シリコンバレーのIT企業でさえカースト差別が問題となり、アメリカの裁判所で訴訟が起こされているのです。
古代の宗教的理念がどのようにして現代のグローバル社会にまで影響を及ぼしているのか、その歴史的変遷と現代的課題を紐解いていきましょう。

目次

  1. カースト制度の起源と四つの階層
  2. マヌ法典による制度の法制化
  3. 業と輪廻思想による正当化
  4. バクティ運動:内側からの改革の試み
  5. イギリス植民地支配による固定化
  6. 独立後の憲法と留保制度
  7. 現代IT産業に残る影響
  8. 国際社会への広がり

1. カースト制度の起源と四つの階層

カースト制度の起源は、紀元前1500年から紀元前1000年頃にさかのぼります。
この時期、インド亜大陸に移住してきたアーリヤ人によって、社会を四つの階層に分ける「ヴァルナ制度」が形成されました。

最古の聖典『リグ・ヴェーダ』の「プルシャ賛歌」では、宇宙の原人プルシャの身体から四つの階層が生まれたと記されています。
口からはブラーフマナ(祭司)、腕からはクシャトリヤ(武士)、腿からはヴァイシャ(商人・農民)、そして足からはシュードラ(奉仕者)が誕生したとされました。
この神話は、社会階層に宗教的な正当性を与える役割を果たしたのです。

上位三つのヴァルナ(ブラーフマナ、クシャトリヤ、ヴァイシャ)は「二度生まれる者(ドヴィジャ)」と呼ばれ、聖典を学ぶ資格を持ちました。
一方、シュードラは「一度生まれる者」として、聖典学習から排除されたのです。

2. マヌ法典による制度の法制化

紀元前2世紀から紀元3世紀にかけて編纂された『マヌ法典』は、カースト制度を厳格な法律として成文化しました。
この法典は全12章2694節からなり、各階層の義務、婚姻規則、刑罰まで細かく規定しています。

特に注目すべきは、同じ犯罪でも階層によって刑罰の重さが異なる点です。
シュードラが上位階層を侮辱した場合、舌を切断するという過酷な身体刑が定められていました。
また、異なるカースト間の結婚(特に低位男性と高位女性の結婚)は厳しく禁じられ、その子供は最下層の「混合カースト」に分類されました。

この時期、実際の社会生活の単位として「ジャーティ」と呼ばれる数千の職業別集団が形成されます。
各ジャーティは内婚制を厳守し、特定の技術や富を外部に流出させないよう徹底的に管理されました。
こうして、理論上の四階層は、実質的には数千のジャーティという細分化された閉鎖的集団へと発展していったのです。

3. 業と輪廻思想による正当化

カースト制度を支える重要な宗教的概念が「業(カルマ)」と「輪廻(サンサーラ)」の教義でした。
この教えによれば、現在の境遇は前世の行いの結果であり、現世での義務を忠実に果たすことで来世により良い身分に生まれ変われるとされました。

この思想は、下層階級の人々が現状に反発するのではなく、自らの義務(ダルマ)を受け入れる強力な動機づけとなりました。
不平等な社会構造は「神の意志」ではなく「個人の自己責任」として説明され、階層間の対立を抑制する機能を果たしたのです。

さらに、四つのヴァルナの外側には「不可触民(ダリット)」と呼ばれる集団が配置されました。
彼らは死体処理、皮革加工、清掃といった「穢れた」仕事を担当し、寺院への立ち入りや公共の井戸の使用さえ禁じられるという徹底した社会的隔離を受けたのです。

4. バクティ運動:内側からの改革の試み

7世紀から17世紀にかけて、カースト制度に対する宗教的改革運動「バクティ運動」が各地で展開されました。
バクティとは「神への絶対的な愛」を意味し、複雑な儀礼や聖典の知識、そして何よりカーストによる身分差を否定する運動でした。

織物職人出身の聖者カビールや、シク教の創始者グル・ナーナクといった指導者たちは、民衆の日常語で詩歌を創作し、身分を超えた精神的平等を説きました。
グル・ナーナクが確立した「ランガル(共同炊事場)」の制度は、すべての人が同じ床で食事を共にするという、カーストの食事制限を破る画期的な試みでした。

しかし、バクティ運動は精神的な平等を訴えたものの、世俗的な職業分布や婚姻制度としてのカーストを完全に解体するには至りませんでした。
運動から派生した教団自体が、やがて新たなジャーティとしてインド社会に組み込まれていくという限界も露呈したのです。

5. イギリス植民地支配による固定化

19世紀、イギリス植民地政府は統治の効率化のため、1871年から全国的な国勢調査を実施しました。
特に1901年の調査では、身体測定に基づく「人種理論」を導入し、1646のカーストを記録・序列化しました。

それまで地域ごとに流動的だった身分秩序は、国家の公文書として明確に成文化され、法的に固定されました。
人々は自らのカーストを法的アイデンティティとして再認識するようになり、有利な分類を得るために当局へのロビー活動を展開するなど、カースト意識はかえって強化されていきました。

歴史学者たちは、この時期にカーストが「伝統的な身分」から「近代的利益を奪い合う政治的集団」へと変質したと指摘しています。

6. 独立後の憲法と留保制度

1947年の独立後、インドは1950年に憲法を施行し、第17条で「不可触民制」の完全な廃止を宣言しました。
いかなる形での差別も法的に禁止され、違反者は処罰される犯罪とされたのです。

同時に、歴史的な不利益を是正するため「留保制度(リザベーション)」が導入されました。
これは、指定カースト(SC)や指定部族(ST)のために、公務員採用や大学入学の一定枠を確保する世界最大規模の積極的格差是正措置(アファーマティブ・アクション)です。

1990年には、マンダル委員会の勧告に基づき、「その他の後進階級(OBC)」に対しても27%の追加留保枠が設定されました。
これにより、SC 15%、ST 7.5%と合わせて総計約50%の留保枠が確保されることになりました。
しかし、この政策は既得権益を脅かされた上位カーストの激しい反発を招き、学生による焼身自殺を含む大規模な抗議運動が発生しました。

7. 現代IT産業に残る影響

1990年代以降、インドのIT産業は急速に成長し、伝統的なカーストの職業規定に属さない新産業として期待されました。
表向きは「実力主義」が謳われましたが、実態は異なります。

調査によれば、IT企業で成功するには幼少期からの英語教育や名門工科大学(IIT)への進学が必要ですが、これらの機会は歴史的に教育資本を蓄積してきた都市部の上位カーストに偏っています。
2023年のNature誌報告では、IIT上位校の教授のうちダリット(旧不可触民)およびアーディヴァーシー(先住民)出身者は1%未満でした。

職場内でも「実力(メリット)」という言葉が、実際には上位カースト特有の文化的背景(流暢な英語、特定のネットワーク)を指す指標として機能し、「企業のブラフマニズム」とも呼ばれる新たな形の格差が生まれています。

8. 国際社会への広がり

カースト問題は、もはやインド国内だけの課題ではありません。
2020年、アメリカのカリフォルニア州公正雇用住宅局は、シリコンバレーのシスコシステムズ社を、ダリット出身技術者に対するカースト差別で提訴しました。
この画期的な訴訟は、インド系技術者コミュニティ内部に出自に基づく排斥ネットワークが残存している実態を明らかにしました。

2023年には、シアトル市が全米の都市として初めてカースト差別を禁止する条例を可決しました。
カリフォルニア州でも同様の法案が議論されるなど、カーストは国際的な人権課題として再定義されつつあります。

独立インドの憲法起草を主導したB.R.アンベードカルは、かつて「ヒンドゥーが他国へ移住すれば、カーストは世界的な問題になるだろう」と予測していましたが、その懸念が現実化しているのです。


インドのカースト制度は、紀元前1500年頃の宗教的宇宙論から始まり、法典による成文化、植民地支配による固定化、そして現代のグローバル社会への拡散という複雑な変遷を経てきました。
法的には廃止されても、社会的・経済的・心理的には存続し続けるこの制度は、人類史上最も持続的かつ複雑な社会階層システムの一つと言えるでしょう。

現代社会において私たちは、出自ではなく個人の能力や努力が評価される「公正な社会」を目指しています。
しかし、カースト制度の歴史が示すのは、一度確立された不平等な構造がいかに根強く社会に浸透し、形を変えながら存続するかという現実です。
この歴史から学び、真に平等な社会を実現するために何が必要かを考え続けることが、私たちに求められているのです。

参考文献

一次資料

  • Jamison, Stephanie W. & Brereton, Joel P. (2014). The Rigveda: The Earliest Religious Poetry of India, Vol. 3. Oxford University Press. ISBN: 978-0-19-937018-4
  • Olivelle, Patrick (2005). Manu’s Code of Law: A Critical Edition and Translation of the Mānava-Dharmasāstra. Oxford University Press. ISBN: 978-0-19-517146-4
  • Government of India (1950). Constitution of India, Articles 15, 16, 17, 46. https://legislative.gov.in
  • Risley, H.H. & Gait, E.A. (1903). Census of India, 1901, Vol. I: Ethnographic Appendices. Internet Archive

二次資料・学術研究

  • Dirks, Nicholas B. (2001). Castes of Mind: Colonialism and the Making of Modern India. Princeton University Press. ISBN: 978-0-691-08895-2
  • Bayly, Susan (1999). Caste, Society and Politics in India from the Eighteenth Century to the Modern Age. Cambridge University Press. ISBN: 978-0-521-79842-6
  • Thapar, Romila (2003). The Penguin History of Early India: From the Origins to AD 1300. Penguin. ISBN: 978-0-14-302989-2
  • Fernandez, Marilyn (2018). The New Frontier: Merit vs. Caste in the Indian IT Sector. Oxford University Press

公的資料・報告書

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  • National Crime Records Bureau (2023). Crime in India 2022, Vol. II. Ministry of Home Affairs. https://ncrb.gov.in
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学術論文

  • Moorjani et al. (2013). “Genetic Evidence for Recent Population Mixture in India”. American Journal of Human Genetics. PMC 311057
  • Upadhya, Carol (2007). “Employment, Exclusion and ‘Merit’ in the Indian IT Industry”. Economic and Political Weekly, Vol. 42, No. 20, pp. 1863-1868
  • Nature (2023). Report on IIT faculty composition by caste background
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